how to being as a human 寂しい

寂しさを誰からも癒してもらえないそれが、寂しいということ、いつもいつもそれを誰かから癒してもらっている人を羨んでいたそれが、寂しいということ、だから癒してもらいたくて、そして癒してもらえないから寂しかっただから寂しさを癒してあげる人になるしかなかったそれが、寂しかった、いつもいつも、寂しかった、だから、いつもいつも寂しい人を癒してあげる人になるしかなかったのは、私が私の寂しさしか寂しんでいなかったから寂しかったから。そしていつしか、ここまで寂しさを誰からも癒してもらえない自分を認めないために、他人及び寂しさを癒してもらっている人や人達から自分を区別するためにただ下を向くようになっていた。寂しさを誰からも癒してもらえない惨めな自分、というものだけが自分というものでしかないとしか思えない程、訳もなくずっと寂しかったのか。人生は椅子取りゲームで、だとした時の自分の戦績を直視できなくて、誰もが自分ではない何かになろうとすることを努力しているそして自分だけが自分以外になれなくて、私だけが苦しんでいる。だとしても、人との繋がりの間にしか、私の苦しみの解決も、私なるものの存在もあり得ないことに変わりはない。だとしたら、本当は、私だけが人よりも人に愛される魅力を持たずに生まれてきて、ただずっと寂しいままの惨めで苦しいだけの人生であっても受け入れて、あるがままの、その場その場で自分が演じ得る役回りをただ全うしたいだけ。それは自分で選ぶことも変えることも、自分以外の何かになることが出来ない自分である以上出来ないのなら、彼女いない歴=年齢であって好きになった人が違う誰かに好きと言っているのを同じエレベーター内で聞くことが5回目であっても下を向かずに明るく「お二人は付き合ってるんですか?」と聞くことが出来ればそれが私の人生だったと言えばいいだけ。その女性に愛される自分じゃない自分になることに執着したり、ただ羨んで下を向いているだけじゃなくて、そんな風に外からの影響に振り回されて自分を見失う前に、寂しいのなら寂しいと、ただ、言ってしまってもいいですか?

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